2026.06.30
所持金はたった1万5000円! 淡路島の玉葱農家で育った野球少年が計画性も夢もゼロで大阪へ! キャバクラの客引きを経て、老舗水産加工会社の水産バイヤー部長職へ転身した、衝撃すぎるサクセスストーリー
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ざこばの朝市
カテゴリー スタッフインタビュー
皆さんこんにちは💕🥰広報チームの泉です。
今日は仲卸業で活躍する部長のとんでもない半生をインタビューしてまいりましたので、ぜひ公開させてくださいね。
その人とは……

原口 卓也さん!!
早速お話を聞かせていただきますよ~~!
【まずは自己紹介】
大阪市中央卸売市場内の店舗にて水産加工物の仲卸業を担当しているH.Tと申します。具体的な仕事内容はスーパーや百貨店など小売業者にお魚を販売することです。仕事が始まるのは毎晩深夜2時。皆さんが眠っているであろう夜中に私たちの職場は最も活気づくという、一般のサラリーマンにはなかなかない勤務体制です。
原口さんのご出身は淡路島なのだとか?
はい、私は兵庫県南あわじ市で生まれ育ちました。「淡路島」というと玉葱が有名ですが、僕の実家も玉葱の兼業農家でした。僕の家だけでなく、周りも殆どが玉葱農家です。小学校低学年くらいから、学校が終わって帰宅するとまず玉葱農家の手伝いをするというのが、僕の、そして周りの僕の友達の日課でした。あまりにも日常的過ぎて、当時はそれが当たり前と信じていましたね。今、思うとかなり特殊な小学生時代だったなぁと思います。僕は小学校から高校を卒業するまで野球部に所属していました。とにかく野球が好きで、玉葱農家を手伝いつつも、毎日日が暮れるまで野球に明け暮れる毎日でした。

野球少年だったんですね! じゃあ卒業したら玉葱農家を継ぐとか…?
いえいえ、それは1ミリも考えてなかったですね(笑)高校を卒業したとき、僕は進学も就職も考えていませんでした。気が向いたらバイトをして、プラプラと何も考えずにその日その日をどこか適当に、ですがそれなりに楽しく暮らしていました。気が付いたらずっと昔から仲が良かった8人の友人が全員、島を出て大阪などへ進学や就職をしていました。「自分も島を出たいな~大阪、行ってみたいな~」と漠然と思っていたものの、さぁでは大阪へ行ったら何をやるのか?もまったく考えていなかったため、島を出るきっかけを逃したように感じていました。
やっぱり島を出たい!大阪に行きたい!って夢をお持ちだったんですね。
はい。そんなとき、仲のいい先輩4人で居酒屋で食事をしていたときのことです。車を持っている一人の先輩が「今から大阪行くわ」って言ったんですね。そのとき咄嗟に「僕も連れて行ってください!」って言ってしまったんですよ。速攻で家に帰ってとりあえず着替えだけをボストンバッグに詰めて親に「大阪行ってきます!」って言いました。もちろん、母は「はっ?」ですよ(笑)。とんでもないことを突然言い出した息子に、それでも反対はしませんでした。そして先輩の車に乗せてもらって夢の「大阪」へ辿り着いたんです。このときの所持金はたったの1万5000円でした。
えーーーー!所持金15000円って! ホテルに泊まってゴハン食べたらあっという間に消えちゃうじゃないですか!
まあ、なんとかなるや!って気楽に考えていましたね。大阪へ連れてきてくれたものの、先輩は無情にも(?)僕を大阪駅構内で下車させました。仕方なく段ボールを集めてきて、駅構内で寝ることにしました。この完全にホームレス状態の一夜が僕の大阪での生活のスタートでした。不思議と心細さはありませんでしたね。それよりも夜中でも煌びやかに瞬くイルミネーションや、見上げるような高層ビルの数々。そして着飾った人々が夜の大阪を楽しみまくっている。淡路島には決してなかった光景に、胸が躍りました。「僕は絶対に大阪で成功する!大阪生活を思い切り楽しむ!」そんなポジティブな思考でいっぱいになりながら、冷たい段ボールの上で一夜を過ごしました(笑)。20歳のときでした。
で、そのあとはどうなさったんですか?
翌日は無料のアルバイト雑誌を見て「寮完備のキャバクラのウエイター」という募集を見つけました。まずは寝る場所を確保したかった僕はすぐに応募してその場で採用。ですが「寮完備」というのはまったくのウソで、僕が寝かされたのはキャバクラの店内のソファだったんです(笑)。「騙された!」と思いましたが、寮費がタダだったのでラッキーと思いましたね。
キャバクラではどんな仕事をなさっていたんですか?
仕事は19時~翌朝6時。ウエイターではなく、メインは客引きでした。通りすがりのサラリーマンたちに「うちの店に来ませんか?」って呼び込む、アレです。日当は7200円。客引きをしたあとは店内でウエイターをし、そのあとはホステスたちを自宅まで送り届けるのが仕事です。これだけ聞くと「なんてキツイ仕事!」と多くの方が思われると思いますが、それが全然(笑)。「楽しい」しかなかったですよ。食事は「松屋」と「吉野家」のローテーション(笑)。どちらも大好物でしたのでそれさえ楽しかったですね。
めっちゃポジティブですね!
そうしてキャバクラで働きながらあるホステスさんと恋に落ちました。3年くらい同棲し、結婚も考える仲でした。その彼女から「水商売はやめて」と言われて、ついにキャバクラから足を洗うことにしました。次に就職したのは、大阪市中央卸売市場内にある酒屋です。24歳のときでした。早朝、お酒をトラックに積み込み、お客様のところへ配達に行く仕事です。そのときのお客様の一人が、今お世話になっている株式会社三恒です。魚の味噌漬けをするときのお酒やみりんを納品し、毎日言葉を交わすうちに「うちには野球チームがあるんだけど、良かったら一緒にやらないか?」と声をかけてもらったんですね。大好きな野球が思いがけずにまたできる!と大喜びして、酒屋を退職し、三恒に転職しました。それから約20年。水産バイヤーとして三恒で働かせていただいています。
キャバクラから水産加工会社へ! それはなかなか斬新な転職でしたね。
僕の実家は、玉葱農家だったので、1年中「休み」というものがありません。だから家族旅行さえも行ったことがないんです。それが普通だと思って育ってきたので、僕には「仕事に対する不満」というものがもともと無いみたいなんです。もちろん若い頃は血気盛んだった時代もありました。それでも「仕事は楽しい」という思いが強く、疑問や不満を感じること自体がほとんどないんですね。これは、やはり幼少の頃から農家育ちだったことと切り離せないと思っています。
なるほど。農家育ちだから、仕事への不満がなかったというのは感慨深いですね。
それともうひとつ、淡路島時代にやってきたことが今に活かされているなと思うのは「野球」です。僕のポジションはライトです。ライトとは、ご存知のとおり、三塁(サード)ベースまでの距離が外野手の中で最も長いため、ランナーの進塁を防ぐための「強肩」と正確な送球能力が特に求められます。僕の強みは、とにかく足が速かったことでしょうか(笑)走るスピードは誰にも負けたくなくて、0.1秒でも速く走れるように毎日練習を重ねてきました。守備範囲も広いので常に全体の判断力が求められるため、自然とチーム全体を見ることが習慣になっていました。そのとき培った野球選手としての練習と努力は、今の水産バイヤーという仕事にとても活かされていると感じることが多いです。 野球というスポーツはチームプレイでありながら1人1人の役割が異なります。今の仕事も、皆、同じ仲卸業という業務ですが、それぞれに役割があり、それぞれの動き方も売り方も異なります。それでも目指すところは「魚を売る」というひとつの目標が定まっていて、野球も「試合に勝つ」という目標が定まっていて、その目標に向けてそれぞれが精一杯の役割をこなす。そんなところが、「野球」と「水産バイヤー」は似ているなと感じています。
少年時代に野球をやってきたことが今の仕事に役立っていたんですね。
僕は大阪に出てきてたくさんの素晴らしい人たちと出会いました。僕は、僕にはできないことをやっている人や、僕が考えもしないことを考えていらっしゃる人に、とても興味があるんですね。20年近く淡路島で暮らしてきた時代には決して出会えなかった人たちが大阪には大勢いました。そして幸いなことにたくさんの方に可愛がっていただきました。よく覚えているのが「思いついたらすぐに行動する」という先輩です。彼は常にアクティブで「ちょっと沖縄いってみようかな」と言ってそのまま2年帰ってこなかったり。そういう人を見ると素直にカッコイイなーと思います。実際に真似する勇気はありませんでしたが(笑)、そういったアクティブ精神でどんどん挑戦することに魅力を感じます。
大阪では素敵な出会いがたくさんあったってことですね!
そんな周りの方々が僕に知らず知らずに影響を与えてくれたのかもしれないと思うことがあります。実は僕は三恒に入社したとき、担当は配送や加工だったんですよ。でも周りの先輩たちが「水産バイヤー」として営業をしているのがカッコよく見えて。辞令を受けたわけでもないのに、勝手に市場内にお客さんを見つけにいって商品を探してきて、営業の真似事を始めたんです。周りからみたら「何勝手なことしてるんだ!」なんて思われたかもしれませんよね(笑)。ですがこれも幸いなことに周りの皆は、そんな僕を見て面白がってくれたんですよね。そして気づいたら水産バイヤーになっていました。誰から指示を受けるでなく、やらされるわけでなく、ただ「カッコイイからやってみたい!」が20年続いて、今は部長職になりました。ありがたい話です。これは僕がたまたまラッキーだったというわけではないと思うんです。どなたでも「やってみたい!」って思うことは、すべてのスタートになると思います。「経験もないのに無理でしょ」って思ったら負け(笑)。本気で「やりたい!」と思ったら、人は必ずできるようになるし、上手になっていくし、そして成功するものだと思います。
「好きな事をやってみたい!」って思うことって本当に大事なんですね。

そんな原口さんの将来の夢ってありますか?
淡路島を出て大阪に行くことが僕の夢であり目標でしたが、実は今は逆のことも考えています。僕は三恒という会社が大好きなんですね。三恒の精神を受け継いだ事業を、地元の淡路島でやってみたい。たとえば淡路島の特産品を食べることのできる民宿や食堂などですね。具体的なところまではまだ考えていないのですが、「三恒 淡路島支店」みたいなのをぜひ実現させたいと思っているんです。 淡路島の人口は年々減っています。若い人たちは皆、島を出ていってしまうので、当然今残っているのは殆どが高齢者です。僕は淡路島には素晴らしい観光地がたくさんあると思っています。そして何より、ここが一番だと思っているのは「淡路島の人は皆優しい」ということです。温かみがあって、面倒見がよくて、誰もが誰もに感謝している。日本一素晴らしい町なんですよ。 「島を出て大阪へいきたい」と願った若造でしたが、それから20年経って、淡路島の素晴らしさを知ることができたのはやはり大阪で暮らしてきたからだとも思うんです。一度離れたからこそわかる淡路島の良さを、僕は世界中に広げていきたい。世界中から愛される唯一無二の島にしたい。この夢は絶対に実現させようと思っています!

原口さんの営業スタイルを見ていると「商品を売る」のではなく「原口さんを売る」だという気がします。
お客様たちが、みんな原口さんを大好きで、お客様なのにまるで野球チームみたいだと感じることがあります。
淡路島を出て、無計画で(!)大阪へでてきた原口さんも素敵ですけど、
その逆で、淡路島に三恒の精神を伝えたいとおっしゃる今の夢。
どちらも原口さんだからできる!と確信したくなるインタビューでした。
「三恒 淡路島支店」ができるのが、今からとーーーーっても楽しみです!
(取材・文・泉理映子)
プロフィール

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